2011年3月15日火曜日

地震と停電との日々1

3月11日の金曜、大きな地震があった。
洗濯物を取り込もうと階段を上がって二階へ。
なんかふらふらする。

最近くらくらするまで仕事してるのでそれかな?
と思ったら地震! 長い! 立ってられない。(柱につかまったり、床に体育座りしたりでしのぐ)
揺れが収まってから仕事場に。ラジオをスイッチ入れたらうんともすんとも言わない。電話を見たらランプが消えてる。下にいってブレーカーを見たら落ちてない。
「停電?」
外を見たら、外の国道沿いのいつも電飾してる店も電気消えてる。
まちがいなく停電。

明るいうちにとりあえず犬の散歩。
犬のオツトメもあるが、情報収集できるかと。
ラジオなどがだめなので情報が入ってこず、不安だった。
ちょうど外にいた近所の畑の方に話しかけたら、「震源地がどこで、そしてこの停電は全体的なものなのか。」を聞く。
「仙台の方で大きな地震、津波で人が死んでる。」と。
「どうやって情報知りましたか? 実は役場の放送も声が割れてて聞こえづらくて。」と聞いたら、
「携帯ラジオ、だよ。」

帰宅後携帯ラジオに電池を入れ、やっと恐ろしい地震だった事を知る。
携帯電話も通じにくく、家人から無事&実家にも連絡ついた、地震の影響で残業で遅くなる、との電話がやっとかかって、その後、貯まってたメールがどっと入ってきた。

この夜は真っ暗。すごく太いとうそくに火を灯す。でも余震があるたびに消す。
あぶないから。
なにか作業をするときは頭にバンド付き懐中電灯を。
そして携帯ラジオも節約しながら聞くので30分おきくらいにつけて情報聞いては、消す。
消すと暗いし寂しい。仕方ない。

この晩は非常食のアルファ米を食べた。ガスも水道も来てたので全然マシだ。

仕事はもちろんできない。家人が帰宅するのを待ち、その後寝る。
翌朝、電気は復旧していた。