2011年3月27日日曜日

3月27日






うちでは宅配の牛乳店からヨーグルトと膝痛の緩和の為のドリンクをとってるが、震災後、宅配できなくて止まってる。
配ったらしいお知らせのチラシが入っていなくて、販売店に電話したら「月末まで休む」との事。

うちはこの辺りではよそ者なのでまわりに知り合いがほとんどいない。
そんな中、昔からここに住み、地元の小中に通った、というこの宅配の年配男性(っても少し上くらいかも)からいろいろ地元の話を聞く。

「駅前の大きな空き地はなんだったのか?」
「夏祭りはどんな様子か?」「今年はどうするのか?」とか
昔話しから現在にいたるまで集金の時にすこ~し話をする。

私は子供時代にも引っ越しをし、子供なりに慣れない土地、人間関係にはとまどった。でもいろいろなところに住んでみてどこもよかった。
しかし故郷とか地縁ということにはおそらく地元の人よりも薄い感情しかない。

今の住まいがおそらく一番長く住んだ土地になるであろう。

ここもそうだが、このあたりから西、東京、神奈川、静岡、愛知のあたりには大きな地震が来る、と昔から言われてきた。
阪神や東北に来たように、来る、と。

なにか災害などに限らずある時に平気で、「そんな土地に(たとえば海に近いとか)なんで住むの。」「どこかへ移転すればいい」だの言う人がいる。

私は自営ではあるが、地元密着ではない仕事なので移転はできる。
しかし、地元で住むだけではなく、商売をし、生活をしてる人にどこへ行けと。

三陸海岸に友人が住んでいた事があって訪ねた際、連れて行ってもらった、海に面した小さな食堂。あまり観光地ではない町で地元民しかこないような所。すごく魚がうまかった。食堂のオヤジさんは海(岸壁)に網をつるしてて、そこからホヤやホタテなどを食べる直前に取って来てくれた。

食堂もオヤジさんも家族も無事かどうかはわからない。

今日はン十年前に子供時代に東京から静岡県東部に引っ越した日だった。
先日その地元の仕事関係の人と電話で話したが、「昔から言われてるけど、どこにも行けないよ。きりがないよ、考えたら。」
同感である。
自分は地元の水を飲み、野菜を食べ、特にどうこうの予定はない。
移転を余儀なくされるまで、ここに住むしかない。

画像は東電の電力使用状況。ヤフーから。

2011年3月24日木曜日

震災後の仕事の状況

毎日パソコンの前で長時間作業。今はまだ食事休憩も睡眠もほどほどには取れている。
しかし、今回の大震災で止まっていた原稿がとうとう動きだした。それもいっぺんに!

ただでさえ同時進行4本だったが、それらもうまく時差(入る時期、入稿時期が多少ずれる)を利用してこなして行こうと思っていたが、今回のように貯まっていたものがどっと動き出すと、先方は多数(たとえば編集や執筆)で、デザイナーは自分一人という状況は非常にきつい。
今回は外注を頼んではあるものの、慣れるまではそんなに量をやってもらうわけにはいかない。

計画停電もあったり、なかったりと、ヒヤヒヤしながら作業している。
停電といえば「計画」どころか、「突然」落ちることだってありうる。
余震がしょっちゅうあって、その度にビクビク。

びろうな話、今まではトイレに行く時(以外にも席を離れるとき)にいちいち保存+できればパソコンも落として行く、という事まではしなかった。
昨日、節電のために暖房つけずに仕事してたら冷えでオナカの調子が。。。
急に「トイレ!」となると、今やってる作業は容量も多く、保存(これはただのコマンドSではなく、外部メモリやHDに保存の事)にも時間かかるので、とりあえず、コマンドS(単なる書類保存の事)して席をたつ。

そんなささいな事もストレスになる。
本当はいつももしもに備えているのは普通にしておかねばいけないのだが。

業界のニュースでは紙だけでなく、「インク」も足りなくなる、との事。
今こんな思いをして制作している本は無事出版されるのだろうか。

2011年3月21日月曜日

震災の影響

スーパーなどで牛乳や米がない。(今でも)
少し前まではパンやカップラーメンがなかったらしい。(らしい=私は仕事でろくに外に出られず、家族や友人の談。)
ガススタは長蛇の列。もっとも前よりはおさまった。
入れられる量も一台10リットルまでが20リットルまでに緩和された。

ここは関東で、確かに多少被災の違いは場所によりあるが、そうでない地域でも上記のようなパニックが起きた。

計画停電もまだあるというのに、日にち持たないもの(牛乳など)を買い込んでどうするんだ、と思っていたが、こういう生鮮食品は各店舗で日常的には在庫を持つ訳がいかないので、毎日のように入荷があったのだろう。
それが流通の混乱で入荷ストップ&在庫切れになってしまったのが今スーパーなどにない原因で、買い占めだけが原因ではなかったようである。

うちは牛乳がないときはないなりに過ごしていたが、町の小さな手作りパン屋で「牛乳一人一本」となっていたので購入。
パンももちろんここで購入。これはいつもそうしている。
米は普通に食べる分は在庫あったので助かった。

近くの在来線は動き始め、移動も可能にはなったが、
いろんな進行(自分に入ってくる原稿、そして出す原稿の準備)が一部止まっていたのが動き始めそうで、そうなると(てか元々ずーーっとずーーっと仕事で缶詰)結局出向く事はできません。

ここを読まれてるかどうかわかりませんが私のクライアントの方々、上記の理由でしばらく打ち合わせ、および、撮影の立ち会いなどは無理であります。
出かけたら作業ができないのがデザインという仕事ですからなにとぞご理解を。

追記:後で出かけたら近所のホームセンターに普通にコメ売ってました。

2011年3月20日日曜日

15日の静岡県東部の地震

計画停電(輪番停電)は昨日、今日、と回避されました。
多くの会社が連休で稼働しないから使用電力がなんとかなるのでしょうか。

以下、15日深夜(日本時間)に起きました静岡県東部、震度6強の地震について。
三島、沼津、富士、にたくさんの友人、知人がおります。
実家がそのあたりにあって遠方に住んでる方のために、ここに様子を記します。
以下は友人からの知らせより。

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富士在住の方より。
当日はそうとう揺れ、怖かった。
沼津近郊の被災状況ですが
沼津はほとんど大丈夫です。
被害の話は聞きません。
震源地、富士宮は被害を受けました。
瓦屋根が三軒に一軒の割で飛んでしまったようで、
壁にもひび割れが起り、直すのにそうとうなお金がかかるそうです。
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三島在住の方より。
当日は19002100まで計画停電中で、停電の最中に地震が来なくて
良かったと、つくづく思います。
計画停電ですが、事務所と自宅と取引先が、それぞれ違うグループに属しているので、仕事に支障をきたしています。(この方は私と同じ職業)
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沼津在住の方より。
沼津の様子ですが、11日の地震の初回の時も15日の夜の静岡県東部の地震の時も、揺れはしましたが、棚の上の物が落ちるとかくらいで、たぶん沼津は被害はあまりなかったと思います。
私や家族が見聞きした範囲では怪我をした人はもちろん、建物被害やライフラインの停止もありませんでした。余震?はちょこちょこありますが、相当揺れない限りは動じなくなってしまった。
ただ、11日(東北~関東の大地震)の時は富士や御殿場は結構被害が大きく、停電や建物が壊れた他怪我をした人も数人いたようです。
同じ静岡県東部でも被害の差が大きいのは何でしょうね?プレートの位置とかによるのでしょうか。
15日の時は静岡県東部震源ですがそれが富士宮だったようで、富士宮は電柱が何本も倒れて広域に停電したり怪我をした人が病院に運ばれたりしたそうです。沼津函南は震度4~5弱でしたが震源に近いところは震度6強と報道されていましたから。
今は東電の計画停電に振り回されてそれが大変。しかし皆同じですから。
計画停電中は信号機も停電ですから、交差点で2か所も交通事故を見ました。こわい。
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この静岡東部の地震は津波の起きない内陸性地震だったので、コレの前の東北の地震よりは被害は少なかった。
あと地盤も静岡あたりは固いのか、震源地直近以外でこれほどの(棚の上の物が落ちるくらいの)被害ですんでるのはすごい。

とりいそぎ、周りの友人達に聞いた事をメールで送ってもらって、多少編集して転載しました。

2011年3月17日木曜日

地震と停電との日々3











被災地の情報をひととおり聞くと、やはりここは離れた場所なので、独自の地域情報が欲しくなる。
(地震の後日である)
役場のHPは落ちちゃったりしてダメな事も。
それ以前に停電では見られない。
防災無線? だか 放送なんだか、それは声が反響しすぎてよく聞こえない。

計画停電情報も流してくれるが、通電中にネットで調べておく。
こんな事ができるのも被災がたいした事ないからである。
毎日いつが停電時間なのか調べて仕事の予定をたてる。
普通の締め切り以外に「停電前にキレのいいとこまで、もしくは全部仕上げなくては、そして保存せねばならない。」すごくキツイ。
取引先からとくに出版予定が遅れる話は来ていないから、仕事はこんな状態でも進行せねばならない。

さて、細かな地域情報で役にたったのが、このあたりではベイFMだった。
もし地域でコミュニティFMが無事ならそこを聴くのもいい。
しかし、自分の持っている携帯ラジオはFM聴けるラジオなのに停電の夜聴けたのはAMのNHKだけ。もっとも非常時はこれで十分。

たまに停電があって確かに不便ではあってもこれくらいで済んでいるなら感謝せねばならない。
しかし今日は寒い。もちろん暖房なし。

画像は停電の夜。ろうそくと携帯ラジオ。

2011年3月15日火曜日

地震と停電との日々2

私は今とても仕事がつまっててこの地震のあった後の週末ももちろん稼働。
通電してるうちにやらねばならない。
アナログなら日が高いうちなら作業はできる。しかし、今はパソコンでの作業。
停電ではお手上げである。

週明けて月曜。輪番停電という初めての言葉。
順番に停電して消費電力を押さえる試みである。
朝と晩にあったが結果的には両方回避された。

停電の1時間くらい前にはパソコンを閉めるようにしている。
データ破損が怖いから。ギリギリまでやってるとなかなか保存に時間かかったりと予定通りにストップできないから。
ご飯も停電予定前に炊きあがるようにセットしておいた。
しかし停電しなかったので拍子抜け。でも急に停電されるより、予定外の通電の方がマシ。
停電は翌日の告知は前の日に決まるから予定もそれで組む。
実は今も予定時間であるが停電しなかった。回避するかも寸前までわからない。
途中でなにかあるがわからないので仕事は予定通り、地元の停電予定時間をすぎてから再開予定。

うちの方は電車は動いていない。電車通勤なら自宅待機であろう。
国道はガソリンを求める車で大渋滞。車があったとしても普段使用していない通勤は営業車以外は控えたほうがいい。

もちろん流通にも影響があった。
ヤマトにどうしても送らなくてはならない書類を頼もうとしたら、
うちのあたりから横浜に送るのに、混乱してて1週間から10日かかります、と。
それでは間に合わない。。。しかし自分が届けるよりは(第一電車が動いてない)マシだから預けるだけ預けようか迷う。
そうだ郵便! 金額は高くなったが、郵便は動いていた。結局歩いて往復2kmはある郵便局にて速達便をだす。
とりあえず、送る便はこれで済んだ。
「自分」が都内までは今は絶対にいけないから、助かった。

余震は今の所震度3くらいまでで済んでいる。

地震と停電との日々1

3月11日の金曜、大きな地震があった。
洗濯物を取り込もうと階段を上がって二階へ。
なんかふらふらする。

最近くらくらするまで仕事してるのでそれかな?
と思ったら地震! 長い! 立ってられない。(柱につかまったり、床に体育座りしたりでしのぐ)
揺れが収まってから仕事場に。ラジオをスイッチ入れたらうんともすんとも言わない。電話を見たらランプが消えてる。下にいってブレーカーを見たら落ちてない。
「停電?」
外を見たら、外の国道沿いのいつも電飾してる店も電気消えてる。
まちがいなく停電。

明るいうちにとりあえず犬の散歩。
犬のオツトメもあるが、情報収集できるかと。
ラジオなどがだめなので情報が入ってこず、不安だった。
ちょうど外にいた近所の畑の方に話しかけたら、「震源地がどこで、そしてこの停電は全体的なものなのか。」を聞く。
「仙台の方で大きな地震、津波で人が死んでる。」と。
「どうやって情報知りましたか? 実は役場の放送も声が割れてて聞こえづらくて。」と聞いたら、
「携帯ラジオ、だよ。」

帰宅後携帯ラジオに電池を入れ、やっと恐ろしい地震だった事を知る。
携帯電話も通じにくく、家人から無事&実家にも連絡ついた、地震の影響で残業で遅くなる、との電話がやっとかかって、その後、貯まってたメールがどっと入ってきた。

この夜は真っ暗。すごく太いとうそくに火を灯す。でも余震があるたびに消す。
あぶないから。
なにか作業をするときは頭にバンド付き懐中電灯を。
そして携帯ラジオも節約しながら聞くので30分おきくらいにつけて情報聞いては、消す。
消すと暗いし寂しい。仕方ない。

この晩は非常食のアルファ米を食べた。ガスも水道も来てたので全然マシだ。

仕事はもちろんできない。家人が帰宅するのを待ち、その後寝る。
翌朝、電気は復旧していた。

2011年3月4日金曜日

BY組休止のお知らせ

















デザイナーズユニットBY組は2010.12より休止してます。
共通ブログもあったのですが、今年半ばには閉じてしまいます。
お仕事のご依頼は各々にお願いいたします。


画像は最後のお知らせです。