2010年10月29日金曜日

過去を思い出す秋

恥ずかしい過去、貧しかった過去。でもまぎれもない実過去。備忘録として、糧として、記しておく。

来月に同窓会があるのでにわかに同窓生との連絡が密に。
そしていろんなネットワークで私が昔勤務していた会社とも現在つながりを持ち、過去に蓋をしておいたわけではないが、忘れかけてた過去が波のように押し寄せる。

私が静岡・沼津で暮らしていたのって人生においてもう五分の一くらい。
そしてその思い出は悲しくつらかった事が多い。

小学校の途中で都内から沼津に引っ越して、沼津の地で中学二年の時、母を亡くす。
残された父は元々酒癖が悪いのにくわえ、間の人=母、がいなくなってほんとうにつらかった。
父は「女なぞどうせ人にくれてやるのだからお金をかけたくない。」が口癖の人だった。これも口に出した事すべてが本心だったかは自分が大人になって考えるとわからないが。私のうちは二人姉妹だったからよほど男の子が欲しかったのかも。かといって長じてその男の子が父とうまくやっていけるかわからないと思うが。

母がいなくなって、学費を始めとする私にかかる経費は父に直接交渉しなくてはならない。(高校入学時に姉も進学のため家を出たから二人暮らしに。)
その学費もそうとうしぶりながら+イヤミを言われながら、出してくれたのはありがたく感謝もしている。父はナニカ訳でもあったのかもしれないが吝嗇だった。

そんな状態だから、高校で見事志望校に受かって嬉しいと同時に、「制服をどうしよう。」ということに。
今思うと申し出れば、そうとうがたがた言われながらも父は買ってくれたとは思うのだが、そのときにいろいろあって、姉の知恵で体型が近い姉の同級生に譲ってもらうことに。
姉の制服(姉も同じ高校、入れ違いに卒業。)は体型が違っててとてもムリだったので。

その方は心良く承諾してくださって譲ってくださった。
キレイに着てた方だと思うのですが、やはり袖口などはすり切れて肘はてかってた。
皆がピカピカの新しい制服、あこがれ(?)の制服を着て新たな高校生活に臨む中、そんな制服を着ていた自分。

でも意外と悲しいとかみじめとか思わなかった。

…私はそういう事がなんかあたりまえ、というか、仕方ないとあきらめていた。
子供時代の途中から「ウチは貧乏&父が吝嗇」というのが身にしみていたからかも。
あと、自分が「鈍い」のもあった。感性が。これは今の商売上どうかと思うのだが。。。

しかし、自分ってもし不幸だったとしたら「わかりやすい不幸」だった。
母が死別、父が酒乱ぎみ。
自分の周りはほとんど幸せな少女達(女子校だったので)か、と思ったら、
みんなそれぞれご家族の深い悩みや哀しみを隠して、でもそれなりに楽しげに学校生活を送っていた事がわかったのは、卒業後、大人になってからだった。

けっこうのんびりした学校だったからか、日中家を放れ、学校が救いだったのかも。

沼津時代に得た友人達(&その母親など)こそが当時から事情はわからないながらも自分を支え、育ててくれた。本当に感謝しています。