母が入院手術したのは夏だった。スイカの皮で思い出した。近所からスイカをいただいて、縁まで柔らかいので外皮の硬い部分をそいで朝のサラダに入れた。
昔母が入院してた個人医院でスイカの皮の漬物がでた。初めて食べた(つまんだ)。
いかにも個人医院。
スイカの皮でも思い出したが、女ま館のnoteで、病院に漫画がたくさんあった、畳の病室で、という記述を読んで。
自分は買って持ってった雑誌だったがたくさん母の病室に持ち込んで。
ここも畳の病室。母が横たわっている横で漫画を読んでいた14歳の私。
亡くなって退室しなくてはならない時に待合室に置いてった。誰かが読むだろうと。
漫画が辛い時も一緒だった。支えになったのかも。自分の漫画も役に立てば。
漫画と病室についての記述を女ま館のnoteで読んで&スイカの皮で思い出す。
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今北の国からの再放送を観ている。1980年初めごろの内容~放映。
リアルタイムでは観ていない。実家のテレビがこのころ団欒とは言えない状態で観られず。
黒板五郎の家はテレビがなくて子供らは人んちに観に行って。
しかし他の家の団欒を観て引き返す。
若い頃北の地の美しい部分しか観てなかった。内容は生きること、生きていくこと、のシビアなドラマ。
富良野近辺にロケ地巡りバイクで行ったっけ。
放映後10年くらい経ってビデオ借りてやっとちゃんと観たのだった。
今も昔も胸にきたのは「馬」が雪子おばさんと純を助けて~その馬を売った話。
いまだと風景よりも人の話してること、態度などをじっくり観る。
初めて北海道にバイクで行ったのは1992年だったかな。ソロ。旅宿に泊まって。
だいたい今くらいの時期。お盆明けて後に。
しばらく続けて渡道。一旦行かない年があって最後の渡道が2001年。
その時に北の国からのロケ地をまわった。
泊まりは富良野ではなく美瑛とか陸別だった。その後、十勝や弟子屈へまわる。
最初の頃は有明~釧路便フェリー。
途中は十勝港(広尾)からだったり苫小牧から帰路。
大洗行のフェリーがなくて苫小牧~八戸で本州縦断で帰ったのが最後。
カブで行ってみたいなぁ、、。県内からでていない。
体力気力の問題と諸事情で家を空けづらい。
渡道しなくなってからも北東北や北関東にソロツーした。
やや若い頃に行っておいてよかったのかも。