私の実父は35年前に亡くなっているのでその後私にとってのお父さんは家人のお父さんでした。
遠い道のりをのんきに駅弁などを食べて帰省。
二人で喪服姿で。慣れない靴を履いて。
通夜や葬儀の手配も義妹がしてくれた。申し訳ない。
喪主は家人。立派に挨拶などをつとめた。
家人は本業副業ともに忙しく、着いて通夜までにリモートワークス。
お通夜。ひ孫らもちゃんと拝んで。
家人の親戚(叔父叔母いとこなど)にも久しぶりに会う。
前の晩にアルバムから数点写真を撮っておいたので見せる。
若い時の両親叔父叔母家人と義妹、猫など
夕飯は持ち帰り握り寿司、美味しかったが写真撮らず。
翌朝、家で朝ごはん後、午前中に葬儀~火葬。
今時の火葬はエレベーターのような入り口で釜がすぐにあるわけではなく。スマート。
私の両親の時は鉄の持ち手に鉄の扉を開けたらモロに釜で火がゴウゴウと燃えててそこに棺を突っ込んで、と記憶しています。これは流石にショックで泣きました。
そういう施設だったからなんですかね。いきなり釜。
でも義父の時はこのショックはなかった。ですがお骨拾いも嘘のようで「この骨、義父の?どっかから持ってきたんではないか?」と。
遺体を見て、骨も見ててもまだ信じられません。
2週間くらい前まで元気だった。私たちが8月末にお見舞い行った時も。
でも亡くなったんだ。余命は本当だった。信じてなかったけど。
夜は家人のおごりで義母義妹夫婦私たちでぶっかけうどん(みんなが好き)。
ご飯の前に地域の掲示板に訃報を貼る。
翌朝ごはん、のこりの巻き寿司。
午前中の新幹線で東へどんどん。私たちはこんなに離れているのでますます父がいないことが嘘のよう。
しかし義母や義妹らは、、、。
「もう病院にいかなくてもいいんじゃな、、、。」って。
義母は毎日、義妹らは1日おきくらいに通ってた。
ひ孫が「きょう大じいじんとこいかなくていいの~?」とか言ったら泣く。
ひ孫のプラレール部屋(和室)に斎壇がある。
リビングから見える庭にいつもあった軽トラはもうない。前に免許返納したので。
いつも座ってた椅子に義父の姿はもうない。





